介護の現場で、外国から来たスタッフの指導を任されたとき、夜勤はいつから入ってもらえばいいのか。何をどの順番で教えればいいのか。
僕も、答えを持っていませんでした。
最初は、書類が一切任せられない状態です。日本語での会話も、まともには通じません。それが3年後には、夜勤に入るようになっていました。
介護の仕事を16年やりました。1社目に5年、2社目に11年です。後半は現場の指導と、採用の面接を担当していました。
この記事では、その3年間で僕が何をやっていたかを、順を追って書きます。最初の1年に何をしていたか。なぜ技術を先に教えなかったか。夜勤に入ってもらう前に決めていたこと。そして、誰と組ませるかをどう考えていたか。
制度の話はしません。数字や条件は僕もうろ覚えですし、今は変わっている可能性もあります。書けるのは、現場で実際に起きたことだけです。
介護の現場に来た最初の1年、業務は教えていない
先に結論を書きます。最初の1年ほど、僕は介護の技術をほとんど教えていません。
ひたすら見学してもらっていました。
配置としては、人数にプラスアルファでいる形です。その日の頭数には入れない。手伝ってもらうことはありますが、業務を任せることはしませんでした。
これは特別なことではなくて、新卒のスタッフに対してやっていたことと同じです。何が分からないかも分からない状態の人に、いきなりやらせても意味がありません。まず見てもらう。
ただ、期間が違いました。新卒なら数週間から1か月程度ですが、こちらは1年近くかかっています。
なぜ介護技術を先に教えなかったのか
言葉が通じない相手に、どうやって技術を教えるか。
最初はそこを考えていました。移乗の体の使い方も、声のかけ方も、翻訳して伝わるものではありません。
結局、たどり着いた答えは単純でした。教える順番を、後ろにずらす。
言葉が通じない状態で教え方を工夫するのではなく、日本語がある程度できるようになるまで待つ。それまでは見ていてもらう。
1年近く見学していれば、見ているだけでもある程度はできるようになります。そして同じ期間で、日本語での会話もできるようになってきました。
そこから先は、新卒のスタッフと同じやり方で教えました。手順を説明して、なぜそうするのかの理由を添える。分からないことは何回でも聞いてもらう。
急がせなかったから、結果的に届いたのだと思っています。
新卒のスタッフに対して具体的に何をやっていたかは、別の記事に書きました。やり方自体は、こちらと同じです。
翻訳機越しに話していたこと
最初の頃は、翻訳機を使って会話していました。
業務の指示だけならそれで足ります。ただ、僕は普段から世間話を大事にしていたので、翻訳機を挟んでも同じことをしていました。
あるとき、こんな話になりました。
「日本の家はいい。蛇が出ない」
「え、蛇が出るんですか」
「出る。毒のある蛇も、急に家の中にいる」
驚いたのは、こちらのほうでした。
翻訳機を挟んでいても、驚きも笑いも伝わります。言葉が通じないことと、話が通じないことは別だと思いました。
その人たちには、はっきりした目的があった
もうひとつ、話してくれたことがあります。
自国で同じように働くと、給料は日本の10分の1ほどになるそうです。だから日本に来た、と。
そして、日本にいる間にしっかり貯めて、自国で店をやるつもりだと言っていました。まだ20歳くらいです。
日本での住まいは会社が用意していたので、生活費はほとんどかかりません。その分を、家に送っていたようです。
2年ほどで、家が建ったと聞きました。
1年近く見学だけという期間に耐えられたのも、こういう目的があったからかもしれません。少なくとも、なんとなく来た人たちではありませんでした。
食事も、時間が解決した
うちの職場では、昼食は利用者と同じものを食べる形になっていました。
当然ですが、最初は食べられません。食文化がまったく違うので、当たり前の話です。だから自分で用意して持ってきていました。
誰も食べろとは言っていません。無理に合わせる必要もない。
それが、何年か経つと普通に食べるようになっていました。
そのうち、こんなことを言ってくるようになります。
「私、アレルギーあるからこの魚は食べられない」
言葉が通じなかった頃を思うと、なかなかの変化です。食べられるようになったことより、食べられないと言えるようになったことのほうが大きいと思いました。
2年目、日中の配置に1人として入る
ある程度できるようになってから、日中の配置に1人換算で入ってもらうようにしました。
介護の業務そのものは、問題ありませんでした。技術的にも十分です。1年見ていれば、それはそうなります。
ただ、書類はほぼ日本人スタッフの負担のままでした。
軽い業務記録なら書けるようになっていましたが、それ以上は難しい。読める字を書くこと自体に、まだ時間がかかる段階でした。
ここは正直に書いておきます。現場としては、人数が1人増えた分、書類の負担は他に乗ります。そういう時期が確かにありました。
3年目、記録が書けるようになって夜勤へ
さらに1年ほど経って、日常の記録なら書けるようになりました。間違いはありますが、意味は通る。
そこで、夜勤に入ってもらうことにしました。
夜勤はひとりです。何かあっても、その場に他のスタッフはいません。日本人の新人でも不安な場面なので、当然こちらも不安だろうと思いました。
だから、こう伝えました。
「夜中でもいいから、何かあったらいつでも電話していい。何回でもいい」
これは日本人の新人に言っていたことと同じです。僕か、信頼できる上司のどちらかに、いつでもかけていいと決めておく。
連絡していいかどうかを、その場で本人に判断させない。迷っている時間が、いちばん危ないからです。
気をつけていたのは、誰と組ませるか
もうひとつ、シフトを組むときに気をつけていたことがあります。
どのスタッフと組ませるか、です。
どの職場にもいると思いますが、一緒に働くと問題が起きやすい人というのはいます。日本語が不自由な状態だと、理不尽なことを言われても言い返せませんし、誰かに相談することもできません。
だから、2人体制の日に、その組み合わせだけは作らないようにしていました。
どうしても避けられない日は、僕か上司か、信頼できるスタッフの誰かを同じフロアに配置しました。業務として一緒に動く必要はありません。現場外の仕事でもいい。目がある状態を作るだけで違います。
問題が起きてから対処するより、起きない配置にしたほうが早い。シフトを組む側にしかできないことです。
「一緒だと仕事が早い」と言われるようになった
3年目には、記録以外なら、一緒に組むと楽なスタッフという評価になっていました。
そしてあるとき、こんなことを言われました。
「一緒だと仕事が早い。あの人とだと終わらない」
あの人、というのは、あまり働かないベテランのスタッフのことです。
これを聞いたとき、けっこう感慨がありました。組む相手を評価する側に回っているということだからです。
最初は日本語もままならず、見学しかできなかった人が、今は現場の一員として、誰と組むと回るかを判断している。3年でそこまで来たということでした。
ただし、個人差はかなり大きい
正直に書いておきます。
最初に来た人たちが優秀で素直だったのだと分かったのは、その後です。
その後も何人か受け入れましたが、日本語の習得も、仕事の覚え方も、意欲も、人によってまったく違いました。同じやり方をしても、同じようにはいきません。
当たり前の話です。日本人のスタッフにも個人差があるのと同じで、出身がどこであっても関係ありません。
だから、この記事に書いたことは「こうすればうまくいく」という話ではないです。最初に来た人たちが良かった、という運の部分は確実にあります。
まとめ:急がせなかったから、3年で届いた
振り返って思うのは、やったことは特別ではなかったということです。
最初は見学だけ。言葉ができるようになってから技術を教える。何回でも聞いていいと伝える。夜勤の前は、いつでも電話していいと言っておく。誰と組ませるかを考える。
全部、日本人の新人にもやっていたことです。違うのは、かかった時間だけでした。
人手が足りない現場ほど、早く戦力になってほしいと思います。その気持ちは分かります。ただ、できない段階で任せると、事故になるか、来なくなるかのどちらかです。誰も得をしません。
最後にひとつ。
僕が辞めるとき、その人からこう言われました。
「茶碗蒸し、美味しかった。回転寿司で食べたのより美味しかった。もう食べられないのが残念」
3年かけて、見学から夜勤まで来た相手が、別れ際に言ったのが食べ物の話でした。
指導した側とされた側、という関係だけだったら、たぶんこの言葉は出てきません。そういう関係になっていたことのほうが、僕には嬉しかったです。
時間をかけられるかどうかも、職場次第です
1年近く見学させるというのは、人員に余裕がなければできません。すぐに頭数として数えたい職場では、選べないやり方です。
その余裕があるかどうかは、外から見ても分かりません。僕は条件を確かめないまま職場を変えて、失敗した側です。
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