介護で、有給はちゃんと取れていますか。希望休は、通っていますか。
僕がシフトを組んでいた職場では、20日近く続けて休んだスタッフがいました。特別な事情があったわけではありません。有給が残っていて、本人が希望して、他のスタッフと被らなかった。それだけです。
介護の現場でそんなことができるのか、と思われるかもしれません。僕も、他の職場でそういう話は聞いたことがありません。
でも、制度はどこも同じです。違うのは、それを誰がどう運用しているかだけでした。
この記事では、僕がシフトと休みについて決めていたことと、それができた理由を書きます。読み終えたときに、ホワイトな職場かどうかを、制度ではなく何で見ればいいかがはっきりしていると思います。
- 介護の職場で、有給を最低でも半分は取らせると決めた
- 有給を使いたくない人にも、話は通しておく
- 希望休は、ほぼ通した
- 介護のシフトは、希望休より連勤の並びのほうが効く
- 組んだシフトは、本人に確認してもらってから確定させる
- 体調不良の当日欠勤を、休みにくくしない
- 介護の指導で決めていたのは「何回でも聞いていい」だけ
- ミスを頭ごなしに叱ったことは一度もない
- 休憩は、自分が取れなくても他のスタッフには取らせた
- 介護の現場で、世間話は無駄話じゃない
- 関係ができると、言わなくても現場が回り始める
- これができたのは、上に取り持ってくれる人がいたから
- 機嫌で判断が変わらない人だった
- もしその人がいなかったら
- 介護をやる人は、もともと人を思いやれる
- 現場としては、そこそこホワイトだったと思う
- いい職場は、勝手にいい職場になっているわけではない
介護の職場で、有給を最低でも半分は取らせると決めた
裁量を持ってから最初に決めたのは、有給についてでした。
最低でも、付与された日数の半分は消化させる。これを自分の中の基準にしました。
法律で義務づけられているのは年5日と言われています。付与日数が20日の人なら、4分の1です。それを最低ラインにするか、半分にするかは、職場の判断でしかありません。
そして半分から上は、本人の希望に合わせました。他のスタッフと被らなければ、20日近く続けて休みを作ることもありました。
介護の現場で長期の休みが取れるというのは、あまり信じてもらえないかもしれません。でも、組み方次第では可能です。
有給を使いたくない人にも、話は通しておく
ひとつ気をつけていたことがあります。
有給を使いたくない人も、実際にいます。休むより出たいという人。そういう人に無理やり休ませても、不満が残るだけです。
だから、そういう人には個別に話をしていました。なぜこういう運用にしているのか、あなたの分をどう扱うのか。
全員に同じことをするのが公平ではありません。納得しているかどうかのほうが大事だと思っていました。
希望休は、ほぼ通した
希望休も、ほぼ100%通していました。
シフトを組む側からすると、希望が多いほど大変です。ただ、通せないことのほうが少なかった。組み方を工夫すれば、たいてい何とかなります。
「希望休は月2日まで」のようなルールを置いている職場は多いと思います。でも、あれは組む側の都合であって、必要だからそうなっているとは限りません。
介護のシフトは、希望休より連勤の並びのほうが効く
実は、希望休より気をつけていたことがあります。
連勤が続かないように組む。これです。
介護の勤務は不規則です。日勤帯があって、夜勤がある。この2つが混ざった状態で5連勤にでもなると、体感はかなりきつくなります。日数だけ見れば普通でも、中身がまったく違う。
だから、連勤が長く続かないように組む。どうしても続いてしまう月は、そのあとが連休になるように前後を調整する。
休みの日数は同じでも、並びで疲れの残り方が変わります。ここは組む側にしか動かせません。
そして、ここを動かすのに特別な時間がかかるわけでもありません。僕がシフトを組むのにかけていたのは、だいたい2時間です。鬼シフトになる職場は、組めないからそうなっているわけではない、という話は別の記事に書きました。
シフトは2時間で組めました|介護で鬼シフトになるのは、できないからじゃない
組んだシフトは、本人に確認してもらってから確定させる
もうひとつ、シフトについて決めていたことがあります。
作成途中と、完成後の2回、本人に見てもらう。
途中の段階で「こういう勤務になりそうだけど大丈夫?」と聞く。一度組み上がってからも、もう一度見てもらう。そこで「ここがきつい」と言われたら、変更しました。
シフトは、出来上がったものを配って終わり、という職場が多いと思います。でも、実際にその並びで働くのは本人です。組んだ側には分からないきつさが、必ずあります。
手間はかかります。ただ、後から「この月きつかった」と言われるより、先に聞いたほうが早い。
体調不良の当日欠勤を、休みにくくしない
当日の欠勤についても、方針を決めていました。
お互い様だ、という空気を出しておく。これだけです。
体調不良は誰にでも起きます。それを責める空気があると、無理して出てくる人が出る。介護の現場で無理をして出てくることの危険は、説明するまでもありません。
ただ同時に、抜けた分の負担が他のスタッフに丸ごと乗らないようにも気をつけていました。休みやすい代わりに現場が地獄になるなら、結局は休みにくくなります。
足りない日は自分で埋めることが多かったです。上司にはフロアにいてもらうだけ、という形をとることもありました。業務をしてもらうのではなく、何かあったときに呼べる目があればいい。そうすれば僕はその場を離れて、別の仕事を進められます。
ただし、埋めたぶんはあとで調整していました。自分の休みの絶対数を減らさない。ここは崩しませんでした。
その場は誰かが被るしかない。でも、被りっぱなしにはしない。そうしないと続きませんし、続かないやり方は結局のところ誰のためにもなりません。
そうやって埋めているうちに、変わってきたことがあります。
僕が休みを削っているときに、他のスタッフが庇ってくれるようになりました。
「今日は代わりますよ」「そこは自分がやります」と、向こうから言ってくれる。お互い様だと言い続けていたら、本当にお互い様になっていました。
これは狙ってできることではないと思います。ただ、先にこちらが引き受けていないと、たぶん起きなかったとも思っています。
介護の指導で決めていたのは「何回でも聞いていい」だけ
新人や、苦手なことがあるスタッフへの指導も、決めていたことがひとつだけあります。
何回でも聞いてくれていい。そのままにされるほうが、よっぽど困る。
これを最初に言っておく。それだけです。
聞きづらい空気があると、人は分からないまま進めます。そして後で問題になる。手戻りのほうが、聞かれるより何倍も面倒です。
ひとり、パソコンが苦手だというスタッフがいました。「絶対にできない」と本人が言っていたくらいです。
嫌な顔をせず、何度でも教えました。何度でもです。
しばらくして、その人は普通に任せられるレベルになりました。そして、こう言われました。
「こんなに教えてもらえたことない。パソコンも面白くなってきた」
できないのではなく、聞ける場所がなかっただけだったということだと思います。
ミスを頭ごなしに叱ったことは一度もない
ミスが起きたときも、頭ごなしに叱責したことは一度もありません。
怒っても、起きたことは戻りません。次にどうするかを相談したほうが早い。それだけの話です。
叱られると分かっていると、人は報告しなくなります。介護の現場で報告が上がってこないことのリスクは、ミスそのものより大きい。
休憩は、自分が取れなくても他のスタッフには取らせた
休憩も同じです。
自分が取れなくなる可能性があっても、他のスタッフには必ず取らせていました。休みの日数が足りなくなるようなことも、絶対にさせませんでした。
格好つけて書いているつもりはありません。誰かが取れなくなる前提の配置だったという話でもあります。
ただ、こういうことを続けていると、現場の空気は変わります。誰かが被っているのを見て見ぬふりする職場と、自然に手が出る職場では、同じ人数でも回り方がまったく違いました。
介護の現場で、世間話は無駄話じゃない
あとは、世間話です。
無駄話といえば無駄話です。ただ、これを一番大事にしていたかもしれません。スタッフとも、利用者も巻き込んで、普段からとにかく話していました。
結果、全員と冗談が言い合えるくらいの関係になっていました。
これくらいの距離だと、いろいろなものが出てきます。
まず、その人が何を考えて仕事をしているかが見えます。改まった面談では出てこない話です。「こうしたほうがよくないですか」という改善案も、雑談の流れで自然に出るようになりました。
関係ができると、言わなくても現場が回り始める
もっと大きかったのは、業務そのものへの効果です。
関係ができてくると、お互いに勝手にフォローし合うようになりました。
あの人が今これをやってくれているから、自分はこっちをやっておけば回る。あの人が今の作業に時間がかかっているから、先にこっちを進めておこう。
誰かが指示したわけではありません。相手が何をしていて、どう動く人なのかを、お互いに分かっているから起きることです。
介護の現場は、その日その時間で状況が変わります。全部を指示で回そうとすると、指示する側がボトルネックになる。雑談で作った関係のほうが、実務としてよほど効いていました。
ただ、深入りしすぎないようにはしていました。人によって、踏み込まれたい距離は違います。
向こうから言ってきて、初めてその件に触れる。これは決めていました。気づいていても、こちらから言わない。
これができたのは、上に取り持ってくれる人がいたから
ここまで自分がやったことを書いてきましたが、正直に書いておきたいことがあります。
僕ひとりでは、何もできていません。
当時、その施設で一番上にいたのは、ほぼ同期の人でした。年齢は上ですが、お互いに何でも言い合える関係です。
僕が現場まわりを回して、その人がさらに上との間を取り持ってくれる。この形ができていたから、好き勝手に動けました。
たとえば残業代です。前に書いた困った上司は申請を渋る人でしたが、この同期は逆でした。発生した残業代はきちんと申請する。その流れを明確にして、上にもちゃんと通してくれました。
もうひとつ大きかったのは、軌道修正です。
現場にいると、みんなで熱くなって「こうしよう」と決めることがあります。そういうとき、その人は一歩引いた角度から見て、「待って、こうじゃない?」と止めてくれました。
現場の熱だけで進めていたら、たぶん失敗していたことが何度もあります。
機嫌で判断が変わらない人だった
その人の何が良かったのかを考えると、ひとつに絞れます。
感情が、いい方向にフラットでした。
機嫌で判断が変わらない。主観で物事を決めない。いつもニコニコしている人でしたが、優しいというより、気分が仕事に混ざらないという種類の安定でした。
上に立つ人がこれだと、下は動けます。今日は言っていいのか、今日はやめておくか、を考えなくて済むからです。
前に書いた困った上司は、この逆でした。同じことを言っても、日によって返ってくるものが違う。だから誰も何も言わなくなる。
もしその人がいなかったら
もしあの同期がいなくて、前の困った上司がそのまま居座っていたら、どうなっていたか。
有給も、残業代の申請も、業務の改善も、数年は遅れていたと思います。
やろうとしたことは同じだったはずです。ただ、上に通らなければ何も動きません。現場でどれだけ正しいことをやっても、決裁の段で止まる。
結局、職場が良くなるかどうかは、間に立てる人がどこにいるかで決まっていた気がします。
やばい上司のときは、僕が現場との間に立ちました。僕が動けたときは、同期が上との間に立ってくれていました。
介護をやる人は、もともと人を思いやれる
ここまで仕組みの話ばかり書いてきましたが、最後にひとつ。
綺麗事に聞こえるかもしれません。それでも書いておきます。
介護の仕事には、ある程度の奉仕の心が要ると思っています。全員がそうだとは言いません。ただ、それがない人は続きません。
そういう人たちが集まっている職場です。
利用者のことを考えられる人が、関係のできた同僚のことを思いやれないわけがない。素地はもともとあります。
だから、僕がやっていたことは、何かを新しく作ったわけではないと思っています。もともとある思いやりが、同僚にも向くようにしただけです。
そこが塞がれている職場が多い、というだけの話でした。
現場としては、そこそこホワイトだったと思う
正直に書いておくと、僕が最終的にこの職場を辞めたのは、報酬が理由でした。
現場としては、そこそこホワイトだったと思っています。有給は取れる。希望休は通る。連勤は続かない。聞きたいことは聞ける。ミスで詰められない。休憩は取れる。
それでも、辞めました。
現場をどれだけ良くしても、給料は変わらなかったからです。
昇給は年に1,500円から2,000円ほど。何年続けても、この幅は変わりません。介護の報酬は介護保険で大枠が決まっているので、現場の努力とは別のところで上限が引かれています。
ここは、僕にも、あの同期にも、どうにもできませんでした。有給の運用は変えられても、報酬の原資は変えられない。
だから、こう分けて考えたほうがいいと思っています。
職場の環境は、人で変わる。給料は、業界で決まる。
環境が理由で辞めたいなら、職場を変えれば解決する可能性があります。給料が理由なら、施設を変えても大きくは変わりません。
介護を辞めるか職場を変えるか|16年いた僕が業界ごと辞めた理由
いい職場は、勝手にいい職場になっているわけではない
ここまで書いてきたことは、特別なことではありません。
有給を取らせる。希望休を通す。連勤を続けない。休める空気を作る。何回でも聞かせる。頭ごなしに叱らない。休憩を取らせる。
どれも当たり前のことです。でも、当たり前が当たり前になっている職場は、そう多くありません。
誰かが、意識してそうしているからそうなっています。
だから、職場を選ぶときに見るべきなのは制度ではないと思っています。制度はどこも似たようなものです。その制度を、誰がどう運用しているか。そこが全部です。
そして、それは求人票には書いてありません。面接でも分かりません。
ただ、現場に立てば、少しは見えます。

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